17才からじゃもう遅いと言われて楽器職人への道を諦めた話

私は幼少期からマイノリティに属していて、例えば幼稚園のお遊戯の時間にみんなが我先にと駆け足でわらわら外に出る様子を「意味ない」と言い放ってマイペースにダラダラ歩いて渋々追いかけるような子どもでした。

小学校では「みんなに同じことを同じようにやらせるなんてくだらない」と思って振る舞っていたので、通知表の備考欄にはいつも協調性に欠けていると書かれていました。その一方で何故か班長や学級委員長を自薦他薦問わずやるようなポジションに固定されていました。

成績もまあまあでしたが図工や技術家庭の時間が好きだったので自然とそっちが伸び、やがて四半世紀振りに会う幼なじみが口々に「やっぱ美術系に進んだんやろ?」と言うくらいのアイデンティティが確立されていました。

高校は所謂進学校でしたが私は勉強で大学に進むつもりはなく学校の方針を基本無視して過ごしました。留年する生徒が出ると名誉に関わるため赤点を取っても追試を行わないような体質に嫌悪感を抱いていたことも手伝って素行不良の3年間を過ごし問題児扱いされ続けました。

どうせやるならトップを狙うつもりで東京芸術大学を目指していた高校生の私にある日転機が訪れました。BSでギタークラフトマンの特集を観たのです。図工とギターが好きだった職人志望の私の中で諸々が繋がって「これだ!」と思いました。

自分なりに調べて国内でギタークラフトマンを目指すならESP一択という感じで戦略を立てましたが、予備校の恩師に報告したら一喝されて張り倒されました。専門学校なんて遊んで過ごす輩が多い底辺の環境という認識だったようです。

それでも曲げなかった私に恩師が「国内の専門学校はダメだ!代わりに NHK交響楽団の音響を担当してる人と繋いでやるからスペインの話を聞け!」と言って本当に紹介してくれました。

N響の大御所と何度かやり取りした結果、私は受験生になることを決めました。「17才じゃ歳を取り過ぎてるよ。スペインの職人は生まれた時からその世界にどっぷり浸っていて物心ついた時には筋金入りなんだ。日本でやる?こんな湿気の多い国で箱楽器の職人を目指すなんで愚かだよ。他にやりたいことがない?じゃあ大学に勧めばきっと視野が広がって新しい出会いがあるよ。」と諭されたからです。

後から考えると高校を中退してでもESPに行けば良かったと思います。結果を出せたか否かはどうでもよくて、信じられるものにただひたすら心血を注ぐべきでした。大人が言うことも間違いではありませんが、青年期の自我を抑圧するメリットなんて無いに等しいです。お利口さんを演じてしまった自分を後々激しく恨みました。

同じ頃、兄が音楽に傾倒していたこともあって祖父から「馬鹿げている!お前はお前の人生を確立しなければならない」と叱責されました。確かに当時「俺が作ったギターを兄貴が使ってくれたらいいな」と思いはしましたが、それはオマケみたいなものであくまでも「職人になりたい」というシンプルな動機が全てでした。

日本国内に居ながらでも楽器職人にはなれます。でも周りに相談したことでギターをヴァイオリンにすり替えられ、世界レベルじゃないと無価値だとレッテルを貼られて論破された結果…私は挑戦することもなく望みを捨ててしまいました。自分で決めた結果から判断すべき人生の重要な節目を安易に他人に委ねてしまったのです。

使い古された表現ですが「やらなかった後悔」は大きいです。人が頑張らない理由のひとつに防衛機制があり「本気でやってないから結果が出なくて当たり前」とこじつけて自責の念から逃れます。それはそれで必要なのですが、全力でぶつかった結果を受け入れた時に初めて成長のチャンスが訪れることも忘れてはなりません。

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