過去作品から見るOSJRの為人

Biography

1978 長崎県生まれ
2003 多摩美術大学美術学部工芸学科卒業

アイキャッチは卒園アルバムです。表紙を描いた当時の私は5才でしたが着彩が苦手で嫌いという自覚があったため渋々提出したのを覚えています。小学生になってからは「下書きはみんなより上手なのにね」という先生の言葉が苦手意識に拍車をかけました。

代わりに、白黒で描くことと工作に関しては「僕が一番上手」と思うくらい自信がありました。(本当に一番だったかはかなり怪しくてライバル視していた子が学年に2人いました)

コンクリートに描いた夢戦士ウイングマンのイラスト
実家の一角に描いたウイングマン

左官でキレイに整えられたばかりのコンクリートに人差し指で描きました。当時まだ6才ですがデフォルメを理解し一発で決めていることに脱帽です。(やがて失われる才能なんですけどね…子どもはみんな天才です)

親に「東京芸術大学ってどんな学校?」と聞き「絵が上手な人が集まる日本で一番の学校」と返ってきた瞬間、初めて何かを目指しました。6才年上の兄の影響が大きかったことも手伝って11才からデッサンの勉強を始めました。

中学時代

鮮明に思い出せる作品が20点ほどありますが、写真も何も残っていません。ギターを触る時間の方が長かったからかも知れません。着彩についてはポスターのベタ塗りやレタリングをきっかけにして苦手意識が消えていきました。

美術の先生が多摩美の出身で「お前デザイナーに向いてるぞ」と何度か言われましたが、もともと大工や鍛冶職人への憧れが強かったのでデザイナーや作家のイメージと自分が重ならず受け流していました。

高校時代

予備校で木炭デッサンに励む日々でした。油画出身の先生ばかりだったので油絵にそれほど興味がなかった私もそれなりに描きました。愛知芸大出身の恩師から「お前は絵を描け!画家になるんや!せっかくの才能が死んでるんや!」と言われ張り倒されても「俺は職人になりたいんです」と頑なに拒みました。一方で東京芸大なら行きたいという気持ちもありました。

浪人時代

すいどーばた美術学院で一年間受験浪人しました。講師と先輩から「芸大狙える」と言われたものの、恩師に勧められるまま彫刻科を選んだ私は次第に後悔ばかりするようになりました。

ギタークラフトマンの工房

17才からじゃもう遅いと言われて楽器職人への道を諦めた話

悩んだ結果、後期をデザイン・工芸科で過ごすことにしました。どの科にも言えることですが普通の人が10年かかることを3日で習得する宇宙人みたいな人がいます。専門にやっている人が3年かかることでさえ2週間もあれば血肉にしてしまうような…凡人には到底理解不可能な次元にいる人です。

レベルの差に打ちのめされもしましたが「俺は努力しなきゃダメ…そこを放棄したら全てを諦めるのと同じ。」と理解できたことが浪人時代の一番の収穫だったかも知れません。己を持たざる者と認識し受け入れるのはなかなかに難しく何度も目を背けました。

補足
前述の宇宙人みたいな人たちこそ不断の努力をしています。自分より遥かに優れた人が自分より圧倒的に努力している世界。そこに身を置きながら勝って驕らず負けて腐らず没頭し続けて、いつの間にか非凡に転化するんでしょうね。

大学時代

多摩美では扱う素材にガラスを選びました。特に理由はなくて「火の前に立つの好き」「一番ピンと来ない素材」くらいで決めました。東京芸大への未練を断ち切れなかったことと、クラスで男が私だけだったことで毎日くさくさしてしまい一年生の夏休み明けには留年が決まりました。

その後、奨学金とバイト代で生活しながらギリギリで卒業した感じです。40才を過ぎた今でも単位が足りなくて卒業できない夢を見ます。

手間暇かけて頑張りどころを見誤っているという自覚はずっとあって…その理由もハッキリ分かっているのに抜け出せない8年を過ごした私は意外にも会社員になりました。

これから

結果はオマケのようなもの。振り返った時に見える景色が夢の残骸で溢れていたとしても、命が輝く瞬間とその理由を知っていれば道は続きます。

menu